もっと苦しい自分を浮かべて耐えたりした

2023/02/02

これがわが子のことなら、どうなんだろう・・?

と昨日から考えている。

 

わが子のことで、祈ってくれる人がいたら

という場合と

親自身が信仰者の場合と。

 

前者については、私は、その祈ってくれる人に

感謝した。結果は出なくてもご厚意に。

後者は、、、経験がない。

 

親が信仰者で、たとえば神を信じていて、

それまで熱心に祈る習慣のあった人は、

子どもが重病になると、どう祈るんだろう・・

 

よく、どんな時も、どんな境遇にあっても

神様に感謝をする

と聞いたことがあるが、

そうできる人にとっては

わが子が亡くなったとしても

(神様のせいにせず)神様に感謝する

ということだろうか・・

 

普通に考えたら

治してください、助けてください、

と祈ることしかイメージできない。

 

その場合は、亡くなったりしたら、

祈りが通じなかった

と思わないのだろうか・・

信仰は揺らがないのだろうか・・・

 

ちゃんとした信仰をもたなかったから

私には拠り所がなく、

こんなに苦しむことになったのか

と思った時期もあったが、

逆のことを考えたこともあった。

もしかしたら、

信仰をもってきたほうが

私などは、もっと苦しかったかもしれない。

 

比べても仕方ないことでも、

もっと苦しい自分を、思い浮かべてみて

現状に耐える

ということをしたりした。