すぐ「楽になりたい」と思うけど愛は深いよ

2023/02/10

高齢の人も、私も、みんな楽になりたいから

病院に来ている、と昨日書いたが、

書きながら思った。

 

私は、しんどかったり、痛かったりすると

「楽になりたい」としか思ったことがないが

あゆみが亡くなったとき、最初に出会ったお母さんから

「楽になりたくない」と聞き、

あーー、私も!と思った。

 

楽になんか、ならないで、

苦しいほど思っていたい。思い続けたい。

という気持ちが理解でき、

普通の人には意味不明かもしれないが、

私は、強く同意したのだった。

 

けれども、私は、

病気や怪我では、すぐに「楽になりたい」。

そのお母さんは、

頭を壁にゴンゴン打ち付ける、と言い、

私、それはないなあ、と思った。

 

心の痛みを、体にも与えて、

心のほうを少し楽にしようとしているのかな?

と思ったが、

それだと、「楽になりたい」になるので、

逆なのだと思う。

心が痛むだけでは足りないから、体にも、

ということなのだろう。

 

この母よりも私の悲しみは薄いのかな・・・

と一瞬思うも、

いや、ちがう。

それぞれなんだ。

悲しみかたも、痛みかたも、

持ち方かたも、表現のありかたも。

 

でも、きっと

濃さは同じ。

深さも同じ。