おじいちゃんの記憶がもどってきた話

2023/03/29

兄の小さい頃の写真がたくさん出てきたので

取りに来てもらった。

私より写真は多いし、

出かけている所も多いし、

いろんな人と写っている。

 

一人目の子は、どこの家もそうだろう。

それは別にいいのだけれど

そんな会話から、

私が知らなかったことを教えてもらった。

 

私は、おばあちゃんに半分育ててもらったことや

昼間はおばあちゃんと仲良く過ごしていたことを

日記にも書いているが

家にはおじいちゃんもいた。

 

でも、おじいちゃんは、いつも横になっており

話すこともなかったので

どういう人なのか、あまりわからないままだ

ということを兄に話したら、

えーーーと言われた。

 

「いつも、おじいちゃんの背中にいたのに」

そう言われ、

おぼろげに思い出した。

近所に田んぼや畑があって、

そこの散歩は、

歩いていなかったような気がする。

おじいちゃんの背中にいたんだ。

 

教員だった母は、

朝、目が覚めたときには、もういなくて

いつもいなくて

夜、すっかり暗くなったら帰って来る。

私は、いつも淋しく、

おばあちゃんがいるから、いい、という思いと、

おばあちゃんでは足りない、という思いが

いつも拮抗している状態だった。

 

そのおばあちゃんも亡くなり

引きずってきた淋しさとも、折り合いをつけながら

精神的に自立するよう心がけたように思うが

無性に淋しくなることは、やっぱりあって

それは、あゆみが亡くなったから、というのとは

どうも出どころが違う気がする淋しさ。

 

そんなときは、

おばあちゃんが幼い私にしてくれたことを

1つ1つ思い出し

心を満たす。

 

こんどからは、

おじいちゃんがしてくれたことも

思い出すことができる。

きっと、心は潤うと思う。