血液型を聞くくらいの軽い気持ちでいた

2023/05/16

よその遺族会に行っている人と話して

ドキッとすることがあった。

いきさつを聞くにつれ

私も同じことをしていた気がしてきた。

 

「わかちあい」の中では、いろんなことが語られる。

亡くなった人の声が聞こえる

という話題は、

子どもを亡くした人からも聞く。

 

言葉が、実際の声となって聞こえた人と

実際は、声はなかったようだが、

内側で聞こえた感じがした人もいて、

聞こえた感じがし、メッセージとして受け取れば

「聞こえた」も同然だろう。

 

こういう話題が出たとき、

まったく聞こえない私にとっては

へーすごい、となり

同じグループの、ほかの人にも、

「聞こえたことありますか?」

と尋ねる気がする。

たぶん私は、そのように行動してきた。

 

でグループの人は、

私同様に、へーすごい、となったり、

「私も聞こえました」と話される人がいたり、

その話にまた、へーすごい、となったり。

 

そういう経験しかなかった、つもり、だったが、

このたび知人の話を通して、

自分も無配慮であったことに気付いた。

 

知人は、「あなたは聞こえますか?」と尋ねられて

何も言えず、苦しくなった。

 

これまでの私の解釈は、

聞える・聞こえない、見える・見えないは、

体質のようなもの、と思っていて

私は血液型A型だけど、あなたは何型?

くらいの気持ちで尋ねていた。

 

でも、本人の声でメッセージをくれるなんて

よほど強い絆で結ばれているからだろう

と思ってしまうなら、

なぜ私は何も言って貰えないのだろう・・・

という疑問が生じてしまい

より、つらくなり、

より、孤独を感じることになるかもしれない。

 

つらく、ぎりぎりのところに立つ人は

非情に繊細。

進行役は、そのことだけは

忘れないようにしないと。