ねじ曲がっただけでなく一番孤独だった頃

2023/05/19

幸せな人を見ても、ねじ曲がった気持ちが湧かなかった

と昨日は書いたが

すぐに湧き上がっていた頃のことも

忘れてはいない。

 

がんで長い入院中、こんなこともあった。

私は、特定のお見舞の人が苦痛だった。

それは、社会で活躍する、仕事帰りの女性。

パンプスの音が、コツコツと病室に近づくと

現れるのは、輝く女性だった。

 

私は、パジャマ着てて、頭ハゲてて

病棟内を、スリッパを引きずって歩いている人。

 

全然ひけらかしていなくても

勝手に、みじめになってしまい

だめだった。

だから私は、人のお見舞に行くとき

ぺたんこの靴で行くようになった。

 

ある日、靴だけのことではない

と気づいた。

前述のとおり、主治医は若い女性医師。

いつも、白いパンツに長い白衣を着用。

 

その医師が、日曜日に、

寮からお出かけするところを見た。

素敵なワンピース姿。

靴にまで目がいかなかったが

何とも可憐で、医師と思えぬ、普通のお嬢さん。

 

私、見なければ良かったと思った。

 

見てしまい、何を感じたのだろう・・・

すごく歪んだ感情。いわば

「こちら側の人ではない」

と知ってしまった、というか。

 

考えたら、こちら側の人ではないのだ。

身内でも、患者でも、ないのだし。

なのに、何だろう

取り込み過ぎていた一方的な関係性。

 

身内は、いても、本音でものは言えなかった。

私が嘆くと、相手は泣くし、

私が弱気になると、頑張ってくれと頼まれるし。

 

ねじ曲がった、というだけでなく

孤独なんだよ、苦しい状況に置かれている人は

たいてい。