蘇るのは言葉に起因する「感情の記憶」

2023/09/07

「キャンセルですね、伝えておきます」と

体の不調を言いかけたところで

ぷつりと電話を切られたことが

あゆみが亡くなった直後の、

小児科クリニックが結びついてしまったことに

自分でも驚いた。

 

言葉の記憶が蘇った、というよりも

言葉に起因する「感情の記憶」だ。

 

すると

もうそれ以上思い出さなくていいことまで

絡まって、思い起こされてしまった。

 

私、クリニックの先生宛に手紙を書いたのだった。

生前はお世話になりました的に。

そしてあの電話の対応は、

小児科が、亡くなった子どもに対するものとは

どうしても思えなかったので、

寂しく思えたことも書いた。

 

結果的に

こんな手紙、書かなければよかった。

 

書いているときは、まだ期待があったのだなあ。

まず、先生は驚いてくれると思った。

きっと電話がかかってくると思っていた。

「あゆみちゃん、亡くなったんですか!?」と。

 

突然意識を失い、救急車で運ばれ、

そのままだったことなど、医者に聞いてもらいたい

という気持ちも私にはあった。

何が起きたか、なぜ亡くなったのか、

まったく理解できないままだったから。

 

病名を言って、

医者でも信じられないように驚かれたら

どうしようもなかったのだと、思えるかもしれない

といった目論見もあったかもしれない。

 

とにかく、

素人の誰と話すより、医者と話したかった。

でも先生からは一向にリアクションはなかった。

電話もなく、手紙の返事も。

 

しばらく経って

知らない人からハガキが届いた。

電話に出た女性だった。

 

先日は電話の応対に失礼があったことを

お詫び申し上げます。

この度はご愁傷様でした。

 

といった文面。

先生が書かせたのだろう。

クレーム処理か。

 

しばらくして引っ越し、私はその地を離れたが

何年かぶりで訪ねてみたとき、

クリニックの看板を目にし

子どもに優しい小児科医として

経営が続いている様を淡々と見たが

ほんと、愛想よくなくてもいい。

作り笑顔なんかしないほうがいい。

ただ本当に

繋がっている人には心をこめてほしい。