死ぬほどつらい気持ちを聴いてほしい

2023/09/20

きょう授業で受けた質問

「死にたい」と言われたときのこと。

 

よく聞かれることで、

言い切れることではないし

正解はないのだろうと思いながら

私も考え続けている。

 

質問者は、大抵、

どうすればいいか?よりも

「そんなこと言わないで」と言いたいが

言っていいか?を尋ねている。

 

私は、どんな言葉も、

そのまま聴いてほしい。

 

「死にたい」は、死ぬほど「つらい」

の表明だと思う。

ものすごく「つらい」、つらさを聴いている。

そこのところで

「そんなこと言わないで」となると、

本当のつらさを聴かないことにならないか?

 

「あなたは間違っている」とか「ダメ」

といった、わかりやすい否定以外に、

「否定」はいっぱいある。

否定の近くには、「拒絶」もある。

 

子どもを亡くした母親が、

科学的な根拠がないままに

「自分が死なせたようなものだ」

と嘆くことに対し、

「あなたのせいじゃないんだから」

と言うのも、私は否定に近いと思っていて

なぜなら、この言葉に続くのは

「もう自分を責めるのはやめて」だから。

 

心の中ではそう思っても仕方ない。でも

言葉にしたとき、相手の表現を制限し

感情を抑圧してしまうことに

ほとんど気づいていないようだ。

 

よくよく考えて、思うに、

親の、子への強大な思いに対し

「もう自分を責めるのは」

と口を挟んだところで

だと思う。

 

言って、言って、言って、

嘆いて、嘆いて、嘆いて、

いつか、

同じことを、同じようには言わなくなっている。

少しずつ、持ち方が変化していく。

ということではないだろうか。

 

そこまでのところで出会う、

何人かの人が、

1人でもいいから、

そのままの言葉や気持ちを

聴いてくれたらなあ

こういう活動の中だけでなく

と願っている。