言って流されるくらいなら言わない選択

2023/12/21

さらに「きょうだいのホンネ」の講座のつづき。

講座の「きょうだい」は障害をもつ子のきょうだい児だが

亡くなった子のきょうだい児と重なる点が

いくつもあるように感じた。

 

前述の女性とは別の女性(姉の立場)の体験談でも

「親には言えない」話が出てきた。

たとえば

小さい頃は、友だちと遊ぶとき

妹も連れて行っていた。

妹にも色んな体験をさせてあげたいことから。

けれども

姉は自立とともに行動半径が広がり、社会が広がる。

妹は、家にいて、「いつ帰ってくるの?」と言う。

姉は悩むようになっていった。

 

わたし(姉)の今の生活は、

妹の我慢の上に成り立っているのだろうか・・・?

 

こうした悩みは

親には言わなかった(言えなかった)。

その理由に、私は愕然とした。

 

私の想像では

親が悲しむとか、謝られるとか

つまり親を追い込むような方向に

向けたくないからじゃないか?だったが

彼女の場合、親を心配させるから、ではなく

言っても流されるんじゃないか?

だった。

 

ああ、そうなんだ・・

子どもにとって大きな悩みが

親にとって、大きさが違う場合がある。

たとえば

「そんなこと言ったって、どうしようもないでしょ」

という言葉で返されること。

 

子どもは、親だけが頼り。

親には絶大な信頼を置いているし、置いておきたい。

ところが、大事なことを思い切って打ち明けて

流されたりしたら・・・

 

そうなったときのことを想像するだけで

「絶望」という文字がよぎるかも。

そっちの方へ行かないほうがいい。

そのためには、言葉にしないこと。

だから彼女は、

「言わない」を選んで生きてきた。

 

解決がつかないことは

生きていく中で起きてくる。

そのとき、解決がつかないからこそ

語り合ったり、一緒に向き合ったり

それ以外にないのではないだろうか。

 

解消できないまま、一緒に、互いに、持つ。

それが分かち合うということ。

 

生きていくうえで

解決のつかない最たることが

人の死だから

遺族とも課題は共通している。