年賀状を書かない書けない理由を分析

2023/12/27

年賀状だけは、未だに書く気になれない

理由を、改めて考えてみた。

 

「ずっと喪中でいいのに」と思った頃の

気持ちの持続なのか?

とも考えたが、ちょっと違って、

あゆみがいたとき、

写真入りの幸せ満開の年賀状を出す喜び

を知ってしまったから、だろうか?

とも考えた。

 

あゆみを亡くし、思い知ったことがある。

私の子はいなくなっても

私は出せなくなっても

そうした年賀状は、届く。

これは事実なのだけど

書く気になれない理由は、コレでもない。

 

一番いやだったのは

誰彼なしに、私の幸せ満開の年賀状を

送りつけたこと。

 

あゆみの誕生は、

若い年齢ではなかった。

友人たちには小学生のような子どももいた。

でも、いない友人たちもいて、

いない人たちは、不妊治療と向き合い

頑張っていたり、悩んでいたり、既に脱却していたり。

 

自分の幸せを知らせていけないことは、ないと思うが、

もっと静かに過ごせばよかった。

色んな立場、境地の人がいるのだから。

 

実際、有頂天になっていたし

私は今とっても幸せでーす!

今年は、ぜひあなたも!!

的な気持ちもあった・・・

 

ああいう無敵な感じの自分が

とてもいやに思え

別に罪のない「年賀状」に、

いまだに重ね、八つ当たり

みたいなことが続いているのだと思う。

(分析はまだつづく)。