つらい親同士でも異なる点がある

2024/03/14

お子さん亡くされたお母さんと話していて

大きな個人差について感じた。

これを機会に

自分のしまい込んでいた記憶も

掘り起こしてみた。

 

日々、お子さんを亡くした方と出会うなか

お子さんがいなくなった暮らしは、皆同様につらい

と感じており、これはその通り。

 

けれども

子どもの発病〜闘病〜見送りにおいては

もっとも苦しかった時期や場面が

親によって異なる。

 

私の場合、

症状が悪化する一方だったときと

もう助からないという説明を受けたとき

だった。

 

話していたお母さんは

その頃もつらかったが、

もっともつらかったのは

さいご別れるときだった。

 

その場面では、私も泣いたけれど、

とても不思議なことに

すでに私は終わっていた気がする。

 

私が、というより、あゆみが。

本当のあゆみは、もういなくなった

と思っていたような気がする。

姿がそこにあったのに・・・

 

そのことを示すように

脳死の判定があった日

私は、眠るあゆみの横にあったソファベッドに、

倒れこんで眠ってしまった。

 

目が覚めたのは朝だった。

看護師さんは何度も来ているはずだが

ぜんぜん知らない。

 

お話ししていたお母さんは

お子さんが息を引き取る少し前に

布団に倒れこんだのではなく、本当に倒れ

救急車で運ばれている。

私は・・・爆睡。

 

これじゃ、

諦めが早くて冷たいみたいじゃないか。

(つづく)