もうしがみついてはいけない気がして

2024/03/15

あゆみのさいごの時

私は冷たかったんじゃないか?

と振り返ってみたが

私はあゆみに冷たくはないはずだ。

だって今も毎日多くの時間、想い、

ずっと想い続けているもの。

 

じゃあ、あの時は

なぜあんな感じだったんだろ。

 

ダンナが半狂乱になっていて

これ以上取り乱したら、どうしよう

と気が気でなかった。

だから私だけは冷静を保った。と

以前は言っていたし、自分でもそう思っていた。

 

でも、改めてよくよく考えてみると

ダンナはあんまり関係なかったように思う。

 

あゆみは突然病気を発症し

救急搬送後、私もずっと寝ていなかったので

頭はぜんぜん働かなくなるし

体のほうが、もたなくなった

というのもあったとは思う。

 

いろいろ要因はあったとしても

一番影響していたのは

医師の説明を、すんなり受け取りすぎたから

ではないだろうか。

 

脳死になったとき

治療を終えることに同意し

私の意識は、明らかに変化した。

 

医師に頼みこむことや

神に祈ることをやめると

意識をどこに置けばいいのか

わからなくなった。

 

ダンナも医師の説明は理解していたと思う。

でも、あゆみを手放すことは、到底できず

本当のあゆみではなくなったあゆみに

しがみついている状態だった。

 

私は・・・

もうしがみついてはいけないように思った。

なぜだろう。

よくわからない。

 

だからかなあ。

目に見えるあゆみの姿がなくなってから

「いる」のを感じることができないのは。

感じるお母さんたち、たくさんいるのに。