つらさに慣れていくちからがある
2024/03/23きょうは、大阪の「つどい」だった。
前半、私は、小学校高学年~中学生のグループに
入らせていただき、話しているとき、
ふと思い出したことがあった。
以前、会員さんではないお母さんに
強い口調で、叱られたようになったこと。
私が言った「慣れていく」という言葉に対し、
「慣れるわけないじゃない!」と。
そのかたが、何年間にもわたり
耐えがたい思いをされていることが、伝わった。
でも、私が慣れていったことも事実。
私が思う「慣れる」とは
辛さに。
辛くない日はなく
辛さが、毎日、毎日の日常であれば
そうなっていかざるを得ないと思う。
慣れるとは、容易くなること
と受け取られたのかもしれない。
楽になるなんて、言ってないんだけどなあ
と思いつつも、
言い返したりせず、こらえた。
でも、叱られるのは、いやだった。
きょう、「この苦しさはいつまで続くのか」
と語られたことに対し、同じことを言ったのだけど
じっと聴いてもらえて、うれしかった。
誰に対しても、どんな言葉に対しても
怒りを向けたいような時期があるかもしれないが
同じ立場の親どうし、穏やかに語らえることが
何よりも有り難い。
それだけで十分だったのに
後半、グループが入れ替わったとき、
「辛さに慣れてきたように思う」
と言われたお母さんがいた。
まだ数年なのに・・・
毎日、毎日、辛さに耐えて来られた
そのことがよくわかり
えらいと思った。
そう、押し潰されそうな辛さを
耐えて、耐え忍んでいくと
いつしか、もって暮らせるように
ほとんどの人がなっていくことを
私は見てきた。
「辛さは、増すようだ」
とも言われるが
増した辛さをも自分でもてるほどに
なっていく姿を。