他人だから時間が早く過ぎるのではない
2024/03/22サリン事件から、もう29年、と昨日書いたが
いくら凶悪な事件でも
どんなに大きな災害でも
被害を被っていなければ
少しの時間で薄らいでいき
思い出したとき、「もうそんなに経つ?」
と感じてしまう。
そのとき、少し申し訳ない気持ちにはなる。
そういう気持ちになるのは
私にとって、あゆみの死は
時間がどんなに経っても大きさは変わらず
でも他人からは
「もうそんなになる?早いねえ」
と言われて
淋しいことを経験しているから。
他人だから?か、というと
親子でもだと感じるようになった。
私が子のほうの、親子。
母が亡くなって、10年になる。
えー、と一人びっくりしたりした。
信じられないほど、早い。
同じ親子でも、亡くなったのが子のほうだと
時間はぜんぜん進まなかった。
10年なんて、考えただけで
そんなにも私は生きていられるのか?
こんなに苦しい時間の連なりを
と圧倒されるようだったのに。
時間は、他人だから早く過ぎる
というよりも
我が子の死だけは特異的で
「止まったままの時計を持つ」
とも表現されるように
つらさ、淋しさ、耐え難さの中に
相当長い時間
閉じ込められてしまうのを感じる。