子どもを奪われても崇高な人はいる

2024/07/06

幼稚園バスに置き去りにされて亡くなった

ちなちゃんのお父さんのコメントで

「うちの子で最後にしてほしいという

素晴らしいコメントは私には言えない」

のあとに、実はもう一言あった。

「相手が憎い」。

 

昨日は、ここまで触れないようにしていた。

そこまでのコメントと、最後の一言は

脈略がないように思えたからだ。

 

でも、考えてみたら、

これは繋がっていると感じた。

 

お父さんにとって

よその子の命のことまで考えられる遺族は

憎しみなど抱かない、

崇高なイメージなのかもしれない。

 

私自身も、そのあたりの違和感から

人の子の命にまで言及してこなかった。

 

我が子を亡くした親は

亡くなった子のことで頭は一杯で

この子さえいてくれれば

という思いに占め尽くされているはずだ。

 

これが被害による死であれば、

犯人を憎むし、恨むし、許せないだろう。

きっと犯人のことでも頭は一杯。

 

こういう状態のときに

せめて、よその子は死なせないように

と願うことができる遺族は

崇高すぎて聖人にさえ思える。

 

なので、ちなちゃんのお父さんが

「私には言えない」というのは

当たり前のことで

「相手が憎い」というのも

当然のことなのだから

この2つを同時に言うために

ご自身を卑下するような言い方

ぜんぜんしなくていいのに

と思った。