淡々と「この子は誰だろう」と見ていた
2024/07/23イルカが、亡くなった子イルカを
いつまでも胸に抱いて泳ぎ続ける様子から
人間もイルカも、亡くなっても子を手放せない
と昨日書いたが
思えば人間は、いつまでも抱き続けてはいない。
人間の社会では
亡くなったら、すぐに葬儀社に連絡する。
そしたら葬儀社の人がやって来て
大抵、次の日にお通夜、その次の日にお葬式
という段取りになる・・・
その流れには乗るしかないものの、
多くの人への挨拶や対応に追われることを
避けようと、家族葬が増えた。
人の出入りが減ると、
亡くなった子のそばに長く座っていられる。
たくさん撫でて、語り掛けて、泣き続けて、、、
それでも、過ごせる日数を増やすことはなく
やっぱり手から離れて行ってしまう。
それが人間世界のオキテのようなもの。
美しく見送ることが大事でもあり。
私もそうしたのだけれど、
私の場合は、火葬に連れて行ってもらえなかった。
周囲が心配し、葬儀社さんも進言し。
でも私自身は、自分でも不思議なほど
淡々としていて、その淡々こそが
周囲の不安を駆り立てたようだ。
多くの親は、子どもにすがりつき
手放さない勢いで、泣いて、嘆いて
別れを悲しむのではないだろうか。
だから私の淡々は
おかしい。こんなはずない。
気が変になったのか?と思われていた。
いや、本当に淡々としていたのだ。
だって、「これは誰だろう」と
あゆみを見て思っていたから。
直後のグリーフには
ショック・拒絶・無感覚
といった反応も一般的にあるのだけれど
私の「淡々」は、遺体に対して。
その後も、ずっと考えているのは
あゆみはどこへ行ったのだろう・・・