「可哀そうに」と思ってしまってドキッ

2024/08/12

昨日書いた、りおなちゃんという女の子は

背骨を支えるために入れている鉄が、

2本折れてしまうほど、痛みに耐えている

ということを、

姪(母親)はネットを通して知っていた。

 

ネットで病状を公表してくれている人は

同じ立場の人に、希望も与えてくれるが

同じ立場の人の将来を予告しているようなものなので、

複雑な思いで見つめるらしい。

 

よく私が思っていたのは

あゆみが病気になるとわかっていたら

もっともっと一日一日を大事にして

楽しいこと、喜んでくれることを、

精一杯やって、

ずっと一緒にいて、

毎日感謝して、「ありがとう」を言って、、、、

 

だからといって、

そうやって過ごしたら、悔いはないか?

と言えば、

きっとそんなことはないのだけれど

何も知らずに暮らしたことには

悔いがあった。

 

でも姪は、子どもが歩けなくなる日まで

したいことを、させて

病院もいっぱい巡って

手を尽くしている。

 

思えば、これまで、

できる努力を精一杯する、というのは

何かを回避するためだったり

何かを達成するためだったり、だったように思う。

 

精一杯努力しても

回避できないし

達成などない

という現実があって

忘れてはいけないのは、

だからって「可哀そうと思われたくない」

の気持ちも大きくあること。