何が最善であるかを知るのは難しい

2024/09/19

不思議に思っていることがあった。

キリスト教の医師と食事をご一緒するとき、

私、「いただきまーす」と言いながら

ちょんと手を合わせ、食べ始めようとすると

先生はお祈りをしていて

私は箸を持つのをやめて、待つ。

 

手術の前にも、お祈りするのかなあ。

「神さま、助けてあげてください」

と祈るのだろうか?

「神さま、上手く手術ができますように」

だろうか?

外科の先生に、一度聞いてみたい。

 

きょうメールくださったのは

キリスト教の小児科の先生。

当会が行っている講座について執筆してくださり

原稿を読ませていただいたら、

「神さまは、新しい機会を与えてくださり

知恵と力を与えてくださった」とある。

 

ああ、このように神さまに報告したり

感謝したり、なさるのだなあ

と厳粛な気持ちになった。

 

とはいえ、神さまはもとより

信者さんの日常も、ちょっと遠いものに思えた。

 

そのとき

このことは、私も心に持ち続けよう

と思える一節が目にとまった。

 

「(神さまの知恵は無限です)

知恵とは、いろいろな状況のなかで

何が最善であるかを知り

それを行うことです。

 

知恵とはなにか?

という問いは、私にも常にある。

神さまと、ちゃんと繋がっていない自分は

何が最善であるかを「知る」は難しい。

 

何が最善であるかを「考える」しかできない。

でも、考え続けて

最善と考え抜いたことを行いたい。

 

きょう、そう思いを新たにできただけでも

キリスト教の先生とやりとりできて

よかった。