どこか何かに後悔が生じるのが遺族
2025/08/20「我が子を抱くこともできず妻は逝った」
という記事を見た。
出産を控えていた31才のさやかさん。
道の端を歩いていただだけなのに
後ろから車がぶつかってきて、飛ばされ
大怪我を負って亡くなってしまった。
お腹の赤ちゃんは、
緊急帝王切開で誕生したものの
意識がないまま入院が続いている。
医師からは、目を覚ますことはないように言われている。
単身赴任先から病院に駆け付けたご主人は
最初に対面できたのは、赤ちゃん。
「これ以上ないほど不幸なかたちで生まれてきた娘。
それでも小さな身体で一生懸命生きてくれている
その姿が愛おしく「ありがとう」と
声をかけることしかできませんでした」
と話されている。
次に奥さんと対面。
「産んでくれてありがとう」と声をかけた。
後悔のない遺族はいないと私は感じている。
何一つ落ち度のないなかでも
後悔は生じ
後悔があれば自責も生じる。
だから遺族は、二重三重に苦しむ。
ご主人には、こんな後悔がある。
事故当日、さやかさんからLINEが届いていた。
「昨日からすごく暑い。広島も暑いのかしら?」
ご主人は、そのときは仕事中で
メッセージを返すことができていなかった。
「あの時、『暑い中無理して散歩に行かないようにね』
と伝えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
と思えて、強く悔やんでいる。
悪いのは、前を見て運転していなかった
(おそらく居眠り)の運転者であり
仕事をしていたご主人ではないし
LINEの返信をしなかったご主人はない。
けれども、
どこかに自分の落ち度を見出し
自分をも責めずにいられないのが
大切な人を亡くした遺族。
みんなそう。