最悪のことが免れれば感謝できるか?
2025/09/21遺族同士で話していて
よく話題になるのは
良かれと思って何を言われた、とか、
相手がどう、よりも
こっちの受け取りかたによることが
多い気がする、ということ。
私も同感で、
その自覚は、あると、ないとでは
傷つき方も違ってくるかもしれない。
出来事においても同様で
起きた辛いことの中に、
いい面を見つけることができると
どん底には落ちずにすむ。
けれども、この災難は
いい面をどう見つけることできるだろう。
林家ペーさんパー子さんの自宅が全焼した。
その日は、三平師匠の法要で
ぺーさんは法要に出席、
パー子さんは、家で線香をあげるため
ロウソクに火を灯そうとした瞬間
三平師匠の写真に火が飛び移り
燃え上がってしまった、という。
自宅は水浸しで、
下の階のお宅も水浸し。
ピンクの衣装もほぼ失い
どうやって、これから生計を
立て直していけばいいのだろう。
師匠が怒っている、とか
師匠が罰を与えた、とか
そういう受け取りは、
しないほうがいいのは、わかる。
けれども、つい思ってしまうのは
師匠、守ってくれないのかなあ。
命日に、法要に行き、
手を合わせている中でも
無理ってことなのか、と。
何もかも失ったが
命は助かった
死にはしなかった、と
そこのところを捉えていく必要が
あるということなのか・・