「他人事でない」が違うほうに向くとき
2025/09/20きょうは自宅で「つどい」をし
会報作成にもご協力いただいた。
テーマは、かつての友人との関係。
当然のことながら、さまざまにある。
変わりなく続く人、
表面的に続けていく人、
すっかり切れてしまった人。
皆さん帰られたあと、文章をまとめながら
ふとスマホの記事が目に入った。
交通事故でお子さんを亡くされた
啓発活動をされているご遺族。
かけられた言葉に傷ついた体験として
「2人産んでおいてよかったね。
まだ1人いるから」とか
「あなたはしっかりしていてすごい。
私だったら生きていけないわ」などは
病死の遺族と少しも変わらない。
コメント欄には、
同じように交通事故で
ご主人と幼い子を亡くされた方が
「まだ若いから、次の人見つけて
早くまた子どもを産むといい」
と言われたのも、再婚は別として
「若いからまた産める」は病死とも共通。
病死では降りかからない言葉として
「賠償金いくら貰ったの?」
と興味津々で言われたり
「自分も居眠り(運転)はするから」
と言われることもあるらしい。
良かれと思って言う言葉?
については昨日も書いたが、
明らかに、そう思えない言葉も
実際はあるのが現状。
これは、まずいと思ったのは
「自分も居眠りはするから」といった
加害者に対する理解のような反応。
何事も、他人事にはしない心がけ
というのは大事。
何事も、誰の身に起きてもおかしくない
という気付きも大事。
それは、居眠り運転を絶対しないため
であって
自分もしてしまうだろうし
してしまうの、わからなくもないなあ
のほうに傾いてしまうの、最悪。