身内ほど「良かれ」が強くて言い過ぎる

2025/11/07

子どもが病気で入院していても

声かけてくれることなく

案じてくれることもなかった人とは

亡くなったあとも会いたくない

と思っていた人の多くが

年数を経て、言うことが変わる。

 

あの状況で、どう声かけていいか

分からなかったのだと思う、と。

 

さらには

自分だって、子どもが元気だった頃は

同じだったと思う、と。

 

すごい理解者だなあと脱帽する。

心の痛みが

人間の器を大きくするのだろうか。

 

ここで疑問が生じる。

よくある「良かれと思って」の

傷つくような言葉は

なかなか解消できないものだが

そういう言葉は、他人からよりも

身内から出ていることがほとんどで

身内だから言及している。

 

その身内の人、

言わないほうが良かったのだけど、

何も言わないほうが良かったのだろうか?

 

んー、

何も、というわけにはいかないだろうし

何か言えば、

言わないほうがいいところまで

及んでしまうのが「身内」だろう。

 

難しいところだ。

他人なら、何も言われなかったことを

何て言えばいいか分からなかったのだろう

と受け取れても

身内なら、

身内なのに何も言って来なかった

となる。

 

身内でありながら、

言い過ぎないように

「良かれ」の価値観は完全に横に置いて

対話できるような人

いたら本当に素晴らしい。

ものすごく良くできた人だ。