気持ちを汲んでくれる人に会いたかった

2025/11/12

解決できないと判断したら

もう丸ごと空に(神に?)に投げる

と言ったにもかかわらず

私は神様の話はあまり好きでなかった。

 

あゆみが亡くなった数年後

自分ががんになって入院が続いたとき

私はとても孤独だった。

孤独で、不安で、すさんでいった。

 

「孤独」は、面会を望まなかったから。

丸坊主で、眉毛もなく、黒い顔、

人に見られたくなかった。

 

「不安」は、

周りの人は次々亡くなるから。

 

すさんでいくのには

いくつもの要因があった。

 

子ども亡くなったうえに、がんにもなった。

がんになっても、子どもが何人もいて

次々に面会者が来る患者さんがいる。

私は面会を避けていたのだから

それは、仕方ない。

 

すさんだ一番の理由は、

自己嫌悪になっていったから。

あゆみのところへ行きたい!

と思っていたのに

実際は死にたくなかったと思い知らされ

一体どこに気持ちを置けばいいのか?

混乱をきたした。

 

死ぬかもしれない病気になって、

私は死にたくない!と実感し

会いに行きたい、そばに行ってやりたい!

と嘆いていたことは

口先だけの人騒がせだったのか…?

と思え、寡黙になっていった。

 

そんな中、

牧師さんが面会に来てくれることになった。

この牧師さんとは1度少しだけ会ったことがある。

 

お子さん亡くされた方が

その教会の幼稚園に、直前まで通われていて

もう一度行ってみたい。付いて来てほしい

と頼まれたので、同行した際に挨拶した。

 

挨拶しただけだったのに

病気になって入院していることが耳に入り

会いに来てくださるなんて。

知り合いには会いたくなかったが

牧師さんに会いたいと思った。

 

楽しみに待った。

やっと会えた。

でも途中でさめた・・・

 

まずお祈り。

そして聖書の話。

ずーーっと続く。

ずーーっと聴く。

 

私は何を待っていたのだろう。

誰を待っていたのだろう。

(つづく)