活動は無宗教の立場でと認識した日

2025/11/13

(入院中の続き)

神様でも牧師さんでもなく

私が待っていたのは、人だった。

やり場のない私の気持ちを

汲んでくれる人。

特別な立場や肩書きは、なくてよかった。

 

「汲む」とは、「聴く」ことだろう。

 

あのときの、一杯一杯の私には

すぐには言葉にもならなかったかもしれない。

だったら、

一緒に座ってくれているだけでいい。

ひと言、ふた言、言葉が紡ぎ出せるまで

耳を傾けていてくれたら。

 

一杯一杯のところには

どんな教えも、情報も、入らないし

話し続けられたら頭クラクラする。

分かって貰えそうにないと思ってしまう。

 

それでも最後には、御礼を言う。

わざわざお越しくださいまして。

お忙しいなか時間とってくださいまして。

 

役に立てた

と思って帰って行かれただろうか・・

 

「ぜひ教会にも来てください」

と言われたが、

行っていない。

 

宗教の専門家は必要だと思う。

ただ、専門的な知識だけでは救えない。

人間的な、汲む器も必要。

 

私は、神様を、都合よく

中途半端な信じ方をして生きているが

活動は、無宗教の立場がいい

と決めたときでもあった。