休憩しながら深く悲しめる時代

2025/12/02

昨日書いた、

亡くなった子のこと悲しむ「休憩」は

今の生活に困難が持ち上がったとき生じる。

 

で、生活上の困難というのは

解決できたり放置できたりする。

それが現代の日本だと思う。

 

戦禍にあるような国では

続く困難を個人が解決できないし

自分や家族の命を脅かされる中で

しみじみと悲しむことなど

できないだろう。

子どもが亡くなっても。

 

かつて日本にも

そんな時代はあった。

戦中戦後、子を亡くした親たちは

どう悲しめただろう。

どれだけ涙を流すことができただろう。

そんなことに思いは巡った。

 

ちょっと休憩しながらまた深く悲しむ

ということに、

自由を感じたり、

時代に恵まれている

と思えたりもする。