誰のための「かける言葉」かによる

2025/12/08

「いい言葉」でも、嬉しくない遺族もいる

のつづき。

「泣いていいんですよ」と言われて

我慢せず思いっきり泣いた。

という話も聞くけれど

何であなたが許可するんですか?

と思った、という話もある。

 

遺族の余裕のなさに加え

癇(かん)に障りやすい状況にもある。

だって、「やり場のない」感情を

ぐーっと抑えているのだから。

 

私自身も、なんだか上から聞こえるとき

はあ?と思うようになった。

昔からだろうか・・?

 

年と共に、というよりも

悲しみに鍛えられたからかも。

年々たくましくなったようだ。

 

「がんばらなくてもいいんですよ」

も、意見はさまざま。

肩の力が抜けて、ちょっと楽になれた

という人もたくさんいるけれど

「がんばってるから持ってるんです」

と言った人がいた。

 

ほんと、そう。

ふんばるの、やめたら崩れてしまう。

崩れた私を、誰が抱えてくれる??

自分の足で立つしかないんだから

とそのとき思った。

 

いい言葉は、たくさんある。

でも、そのとき心に沁みるかどうかは

個性の違いだけでなく

心持ちやタイミングもあるだろう。

 

そして、

かけてくれる人の心持ちにもよる。

 

誰のためか?

 

見ているのがつらい

役に立てないのがつらい

というのは、その人都合。

 

心から相手を思う心があれば

言葉じゃなく伝わる気がする。