流されて生きることに慣れていくしかなく
2025/12/20あゆみのお葬式でお世話になったお坊さん
ご高齢で引退されたのだけど
いまも配布物は作っておられる。
今月のお言葉は
「確かなものは
今もはたらいている如来の本眼力」
(たぶん私は首を縦には振らないだろう)
抜粋しながら書くと
「科学や文化が発展しても、
古い生命は消えていき、新しい生命に
変わっていきます。
それは、順番通りにはいかず、
突然に受けなければなりません。」
おーー、ここまで読むと
私のために書いてくださった原稿か
とさえ思ってしまう。
「仏教では四苦八苦と呼び
人間の苦の原点と言っています。
人間のどうしても克服できない問題です。」
そうなんよ、
だから、仏教がどう助けてくれるのか
毎月の訪問でお坊さんに詰め寄った私。
「阿弥陀さんは、この苦の世界、悲の世界を
知るにつけ、大慈悲心を起こしました。
知った以上は、救わねばならない
見捨てておけないという仏の心の働きです。」
ここまで言い切ってくれることに
涙が出そうになるけれど
言ってくれるからには救ってくださいよ。
問題は、ここからだ。
要は、阿弥陀さんは
人間・凡夫が苦しみ、もだえる姿を
救わずにおれないと
「大慈悲心」が生まれたという話。
いつも大慈悲心が働いている、
という話。
ん---
相変わらずだ。
子を亡くして日の浅かった私は、
いっつも前のめりになって聴き、
だから、なに??
となっていた~
有難い、と思う遺族もいるだろう。
そうか!と目が覚める思いがする遺族も
きっといるだろう。
でも当時の私は、
救う、と言われたら
会わせてもらえる?!?
と飛びついてしまうのだった。
会えないなら、
どんな「はたらき」があると言われても
だから?
となっていた。
会いたくてたまらない気持ち
今も消えてはいない。
もっているのだけれど、
諦めることにも慣れたなあ。
どんなに願っても、かなわない虚無感…
流されて生きることに
慣れていくしか道はなかった。