いまだ理解できていない「傲慢」の真意
2025/12/23また今年も巡ってきた
年賀状を書く季節。
あゆみが亡くなった年、私は考えた末に
喪中はがきは出すことにした。
長女あゆみの名前も書いて。
次の年からは
年賀状を何年出さなかっただろう。
でも、くれた人には寒中見舞いを出した。
くれた人には寒中見舞いを出すのなら
くれた人に年賀状、のほうがいいのかな?
と、長らくそうしていた。
そんなとき、中学からの友人と会い
年賀状の話になった。
彼女、宿題を期限内に出したことがない。
なのに年賀状は元旦に届くので
不思議に思っていた。
大人になったということなのだけど、
私は来た人にだけ出している
と言ったら
沈黙になり
ぽつり言われた。
「なんか傲慢やな」
えー~~
言葉の意味が分からないまま
私は問い返すことができなかった。
旧友なのに?
旧友だから。
旧友が言うことは、すべて本音。
詳しく聞くのが怖かった。
そうかー、そうだったのか、と
腑に落ちることが。
あゆみがいなくなり
年末は普段にも増して辛い時期となり
年賀状は我が家には似つかわしくない。
でも、すべては我が家都合で
他人の目にどう映るのかは
想像してこなかったが、
まさかのワード「傲慢」に
私はぶん殴られた境地に。
以後、貰うことが分かっている方には
元旦に届くように出している。
言葉の真意は理解できないまま
旧友からの言葉は
素直に受け入れたほうがいいと考えて。
きょうは外泊のため
書きかけの年賀状は持って出かけて
ホテルでしあげる。