「予告」後も漫然と過ごしてしまった
2026/01/10昨日書いた四柱推命のこと
当時、身内に話したら
憤られたことも思い出した。
占いでしょ?
よその子に、そんな無責任なこと
言うもんじゃないよ!と。
私は、そう嫌ではなかった。
遠くで暮らさないように
予防線を張ろうと思っていたから。
で、今になって改めて思ったことがある。
病気には告知というものがある。
治らない助からない病気なら
どれくらいの命か、という。
あゆみのように
罹るなり亡くなってしまうような病気では
病名告知もないようなもんで
あったのは
知人が教えてくれた曖昧な予告だけ。
知人はプロの鑑定士ではないから
私は半信半疑だったが、
もっと信じていれば
どうだっただろう…
長くは一緒にいられそうにないのなら、
べつに病気になんかならなくても
小さいうちの時間を大事に。
少し大きくなってからの暮らしも大事に。
もっと大きくなって、大人になったら
こんなに幸せな経験を
こんなにたくさんさせて貰えて
どこに向かって感謝を伝えればいいのか
と、幸せを噛みしめる機会を
何度も何度も迎えたことだろう。
ことさら考えもせず
「予告」のあとの数週間を
漫然と過ごしてしまったなあ…。