正気に戻るために必要だった言葉
2020/04/16昨日のつづき。
見ず知らずの人が言った「大丈夫。きっと良くなる」
という、根拠のない、結果的にハズレた言葉に
「救われた」と思っている理由を考えた。
その人から声かけられる少し前、私は、
「大丈夫!きっと良くなる!」と思いたくても、
思いを貫くだけのパワーが、失せてきていた。
長時間の緊張状態による、体力・気力の限界
だけが理由ではなかったように思う。
おそらく
こんなに回復を信じ込んで、だめだったらどうしよ・・・
という「弱気」が、頭をもたげ始めていたように思う。
それこそが「限界」ということなのかもしれないが
自分の意識を、どこに、どう向ければいいのか、
もうわからなくなっていたときに、その人が現れて
発せられた「大丈夫」に、乗っかったのだ。
限界だった私が、息吹を取り戻した。
「思い込み」という形であっても、正気が戻ったと言える。
とりもなおさず、完走することができた。
目指していたゴールではなかったけれど
走り抜けていく子どもと共に、親も全力疾走して当然だ。
医師からの深刻な説明というのは
ちゃんと理解できることが、望ましいのかもしれないが、
私が出会うお母さんの中には、
そのために苦しんでいる人たちがいる。
「私がものわかり良すぎて、もうだめなんだ、と思ったから
本当にその道を辿ることになったのではないだろうか」と。
(つづく)