片田舎の風習にガツンとやられた
2020/05/09仕事に復帰しているか、どうかに関わらず、
「社会」とは、常に接しているのだった。
まずは隣の奥さん。
当時を思い返すと、必ず浮かぶ年配女性。
「風習」が残る、大阪市の端っこに住んでいた。
不幸があると、町内会が起動する。
あゆみを連れて帰ると、次々と弔問に来てくれた。
これは有り難いことだった。
問題は、このあと。
そのまま打ち合わせに入ったのだと思う。
隣の奥さんが取り仕切ってくれていた。
買い出しに続き、台所で、炊き出しが始まった。
昔は必要だったのだろう。
でも現代は、自宅に来る親戚や知人は少なく、
奥様たちが作ってくださったお料理は、夜になると
奥様たちの「まかない」料理となり、
あたかも女子会と化してゆく様を、横目で見ながら、
こうした風習を、煩わしく思ったり、
こんなときなのに神経が冴えている自分が、
ちょっと嫌だった。
後から考えても、
大事なことが、すっぽり抜けているにも関わらず
鮮明に記憶に貼りついている場面があって
やはり通常ではなかったのだろう。
で、隣の奥さんのこと、むり~となったのは
暫く経ってからのこと。
お葬式のあと、まったく動けなくなった。
お礼に回っておらず
とにかく町会長さんのお宅に、と思ったのは
お葬式から何日も経ってからだった。
行ってきた、すぐあと、隣の奥さんが
「町会長さんのところだけは、挨拶に行かないと。
私たちには、いいのだけど」と
進言しに来てくださった。
「行ってきました。遅くなってすみません」
と口では謝りながら、
大人げないことを、いろいろ思った。
あー、影で言われてたんや・・・
そもそも、頼んでもなかったですし、
もっと感謝されてもいいはずなのに、と
お顔に書いてあるご親切って
どーかと思いますけど。
町会長も町会長だ。
町内の長を務める人の器とは
思えませんわ、みたいな。
このあと挨拶に回りながら、思った。
「お疲れが出ませんように。ゆっくり休んでください」
といったお悔みの言葉は、
100パー鵜呑みにしたら、
アカン言葉やった。