「もしも」「また」に怯える

2020/05/10

緊急事態宣言は延長されているが、大阪府では

独自の「出口戦略」の基準も公表され

兵庫県もそれに準ずるとのことだが

これって、5月中の解除の兆し、ということなのか??

 

どう見通せばよいものか

今月の「つどい」について、悩む。

 

考えながら、思い出した。

あゆみと同じように、感染症(インフルエンザ)で

お子さんを亡くされていたお母さんのこと。

 

つどいには、毎回、必ず参加されており、

荷物が多い私に、「持ちます」と言ってくれて、

それからは、駅で待ち合わせて

必要な買い物を、一緒にしてから行っていた。

とても真面目で、誠実な方。

 

ほとんどの人が携帯電話を持つようになっても

世間と一線を画すような暮らしだったからか

持っておられなかった。

 

ある冬の、「つどい」の日、

いくら駅で待っていても、来ない。

お家に電話したら、留守。

とても心配になった。

約束をすっぽぬかすような人ではない。

途中で何かあった、としか考えられない。

 

時間を越していたが、駅にいて

これ以上遅れるわけにいかない、と駅を離れ

恐怖を感じるような思いで買い物をしながら

お家に電話をかけると

出たので、びっくり。

 

なに?どういうこと??

 

か細い声で、

「どうしても電車に乗れませんでした。

すみません」と謝られた。

 

インフルエンザが大流行の年だったが、

私は、ぜったいに会場に行く。

約束しているから。

その人も、考えは同じであって

体が動かなかったらしい。

 

電車に乗って、もし感染したら・・・

そのため、子ども(きょうだい)に移ったら・・・

そして、また、同じことが起きたら・・・

 

あー、そうかあ。

私はそのように解釈を展開しないほうだが

私たちの会では、

実際には確率は低いとしても、

「もしも」「また」

に怯える人の境地に、想像を働かせなければ。

 

府知事が何を発表するか、よりも

肌身に覚える不安感のほうが、拘束力があり

抗えないものだろうと思う。