こんなにも電車に乗ることが難しいとは

2020/05/11

電車に乗れない人の話は、よく聞く。

お子さんが、何か月も入院して

亡くなったあと、家にいなくても

病室にいるような気がしていた。

お世話になったスタッフの方々にもお礼が言いたい。

そこで、病院に行くことにした。

ところが、駅のプラットホームで

どうしても電車に乗れない。

何本も見送る。

一体どうなってしまったのか・・・

駅までは、少し前向きな気持ちだっただけに

もうわけが分からず、混乱をきたし

ついに乗ることができないまま、家に戻ったらしい。

 

別のお母さんは、

どうにか電車に乗れたが、駅から病院までの道のりが

息ができないように、苦しかった。

でも、時間の約束をしていた。

もう一度、死因について、話を聞かせてくださいと。

どうにか病院に行き着き、先生に会い、

手厚い歓迎と、丁寧な説明を聞くことができ

苦しくても、行けて、本当によかった

と話されていた。

 

私は、訪ねられるようなら、1度

病院を訪ねたほうがいいと話している。

「行ってよかった」「話を聞けてよかった」

と言う人が、ほとんどだ。

 

後者のお母さんも、

先生と、時間の約束までしていなかったら、

おそらく、電車に乗って駅までは行けても、

引き返してしまったのではないだろうか。

 

親にとっての「宿題」が遺されているのは

強みだなあ、と思う。一方で、

1つこなせば、1つ減り、

それはそれで、淋しい。