「弱さのちから」とは

2020/06/24

一昨日、子どもを亡くした親同士を象徴する言葉として

「弱さのちから」と書いたが、この言葉

14日に紹介した、岩田泰夫氏の「セルフヘルプグループへの招待」

では、「弱さが絆になる」と書かれている。

 

この本にあるのは、遺族に限ったことではなく、一般論で

「自分の弱さ(悩み、困難など)は、私たち同士が助け合え

仲間にしてくれる、という意味」と書かれている。

そのことから、私は、「ちから」と展開させている。

 

また、「弱さのちから」という本もあり、

著者は、哲学者の鷲田清一氏。

 

この本で、弱さのちからについて、とても分かりやすいのが

次のくだり。

「とにかく必死に生きようとしている。

その生きようとする力に大人は呆然とさせられる。

それを見せつけられたとき、

大人はもう赤ちゃんの奴隷になって育てている。」

 

私たちの活動は、赤ちゃんと大人、という位置づけではないが

今がもっともつらく、弱った状況である仲間を前にした時

「この人のために、役に立てるなら、なんでも!」

と、無条件に持ち上がる気持ちは、

少し似ているところがあり

しかも、気持ちを持ち上げるのも、弱い立場の人である

というところに、「弱さのちから」を強く感じるのだ。