「分岐点の数だけ後悔があるんです」

2020/07/19

あゆみは、突然の病気で亡くなり、闘病がなかったので

私には、病気で亡くなった子どものことで、わからないことが

いろいろある。

なので、闘病が長かったお子さんの親御さんから

できるだけ、教えていただくように心がけている。

 

私のような立場の親は、医師の説明を

え?え!そんなはずはない

というように聞いてしまう。また、

治してほしい、先生諦めないで!

と強く思う。

 

このあたり、闘病があっても、なくても、

親は、ほぼ同じなのだと知るようになった。

 

ただ、長い期間のなかで、

無理な治療はやめたほうが・・・ と思うことはあり

でも、それは「諦め」というものではなく

治療(つらいこと)は見送ったとしても、「治るかも」

という期待は、持ち続けるものだと言う。

 

よく、私のような立場の人は、

「私たちには選択肢はなかった」と言う。

一方、長い時間の中に身を置いた人は、

「選択肢は与えられました。

でも、選択に迫られた分岐点の数だけ、後悔があるんです」

と言う。

 

考えて、選んで、決めることができるのは

とても良いこと。

けれども、その「良いこと」も、「よかった」ではないのだ。

 

「よかった」は、

結果がよかった場合しか実感しないものであり

私たちが得られなかった「良いこと」も

親の背に、肩に、重く乗ったままになる場合があること、

それが闘病を経て子どもを亡くすことなのかもしれない。