体験者同士だから傷つくことがある
2021/03/19昨日の日記、
ALSの患者さんに対する「匿名」コメントについての
京都新聞の記事を引用しながら
私は、子どもを亡くした親同士の姿に重ねていった。
その記事には、当事者からの見解も載っていた。
岡部宏生さんは、人工呼吸器を装着して介護事業所を経営する
患者でもあり支援者でもある人。
この方の言葉にも、ドキっ。
「岡部さんのような人を見ていると、自分がダメな人間に
どんどん思えてしまう。だから会いたくないと。
その言葉は私の活動の原点になっています。」
この方、繊細で素晴らしいと思った。
この自覚とわきまえ、すごく大事だと思う。
どういう当事者でも、がんばれない自分が、すごくつらい。
とりわけ、当事者同士で違いが見えるとき
ものすごくつらい。
当事者同士なら、うまくいく、わかり合える
という思い込みがあったりする。
そうばかりではないのだ。
たとえば
遺族会に初めて来られた人が、よく驚かれる。
準備をしたりしている時間、笑ったり、冗談言い合ったり
想像した姿と違う、自分とは違う、と
ショックを受けられたりする。
何も違わないことは、
開始時刻になった途端、感じてもらえるのだけれど。
私も、「坂下さんのようにはなれない」
と言われることがある。
私も、何も違わないです。
ただ、会の代表をしているから、その立場で
この会に責任をもっているだけ。
私個人は、きっと何も違わないと思う。
私の本性については
日記でとくとご覧いただくとしましょう。