ようやく子どもに会える時を迎えた人

2021/07/23

「小さないのち」は、子どもを亡くした家族の会だが

よその会から、奥様を亡くされたご主人の支援を頼まれ

お話しするようになった。

 

この方は、昔、幼いお子さんを亡くされている。

つまり、亡くなった奥さんは

お子さんを亡くしたお母さんだった。

 

では、ご主人に当会に入ってもらってもいいわけだが

やはり、そうもいかない・・・

こういう活動は、誰を亡くして今つらいか?で

この方は、奥さんを亡くして、つらくてたまらない。

 

けれども、亡くなった奥さんは

お子さんの死が、ずっとつらかったことが

ご主人のお話からよくわかる。

ご自身の死期が迫ってからは、なお一層。

 

若い頃に子どもを亡くし、

次の子どもを産み、子育てに追われ、仕事にも追われ

目まぐるしく生き抜いた先で、

改めて、亡くなった子どもに心が占め尽くされる

ということが、あるのだなあ。

 

ご主人は、これから2人で老後を楽しもう

と思っていた。

だから惜しまれてならない。

ようやく楽させてあげられると思ったのに。

 

でも、私は、ちょっと違うことを考えてしまう。

奥さんは、役割を果たし、ようやく

ひとり旅立たせたお子さんのところへ行ける!

そう思って息を引き取られたかもしれない。

 

だから「そんなに悔やまれなくて大丈夫ですよ」

なんてことは、他人が言うことではない。

ゴクンと言葉を呑み込んだが、

私のヨミは外れていない気がする。

 

本当にごくろうさまでした。

やっとですね!

駆け足で、お子さんのところへ行く奥さんの姿

目に浮かぶよう。