左手の有難みが身に染みる
2022/01/05今回、怪我して、それが軽症で済んで
良かったー、と思ったが
こういうとき、通常、気分は上がるものだが
私は、どうしても気分がしぼむ。
良かったとは、「運が良かった」のだ。
一生分の願いを込めても、良い運は巡って来ず
最悪の結果に至ったことがあるので
あの時、貰いたかった運を
あとから(小出しに)貰っているようで
しかも、子どもに回らなかった運を
私が貰っているようで
つらくなってしまうのだ。
でも、感謝はしないといけないと思う。
普通にできていたことが、今できなくなり、
暫くたてば、また普通にできるようになるのだから。
できないことは
大きめのお茶碗をもつこと。
テーブルに置いたまま、背中を丸くして食べている。
ペットボトルを開けること。
これは股に挟めばできるから、いい。
車の、ギアを入れたり、サイドブレーキを引くこと。
でも最初と最後だけだから、右手ですればいい。
服のファスナーを上げること。
足も使って上げておいてから、かぶればいい。
できないことが多すぎて
利き手ではない左手が、
毎日かなり活躍してくれていたことが
今回よくわかった。