真実は1つでなく人の数だけある

2022/02/14

昨日ドラマのことを書いたが、

「ミステリという勿れ」もいいよ、セリフが

と会員さんと話した。特に第1話。

 

「どれだけ虚言を尽くしても真実は1つなんだからな」

と警察の人が言ったとき、主人公の整君は

真実は1つではない根拠を、イジメを例に語る。

 

AとBがぶつかり、Bが階段から落ちて、怪我をしたら

日頃からいじめられているBは

「今回もわざと落とされた」と言い

いじめている認識がないAは、遊んでいるつもりで、

「ぶつかっただけ」と言う。

 

2人とも嘘は言っていない。

では真実とは何か?

 

真実は、AとB、それぞれが持っている。

でも事実は、1つしかない。

この場合の事実は

AとBがぶつかって、Bが怪我をしたこと。

 

そうして整君は、こう結論づける。

「警察が調べるのは、人の真実なんかじゃない。

真実というあやふやなものに捉われるから冤罪事件が起きる」

このドラマでは、「事実」に重きを置いている。

 

私も、事実と真実の違いを重視しており

私の立場では「真実」に重きを置くことが多い。

「事実」のほうは、子どもが病気で亡くなった、こと。

だから死因は1つ。

 

ところが「真実」は親の数だけある。

「私が気づくのが遅かったから」

「私が朝まで家で様子を見たから」

「私が病院を変えた(或いは変えなかった)から」

「もうだめかもしれないと私が弱気になったから」

「私が丈夫に生んであげられなかったから」

など人それぞれにあり

多くが自分を責め、苦しむことになっている。

 

そんなふうに考えるのはやめよう、と

簡単に言えるものではない。

医療者であっても、「それは死因ではありません」と

はなから否定するのではなく

そう考えるに至った話を聴き、

つらさを汲んだうえで、

「事実」を明確にして親を救ってほしいなあ

と思っている。