立場は違えど「母の日がしんどい」
2022/05/08きょう5月8日は、母の日だった。
私は、この日は、ちょっと、心がしんどい。
理由ははっきりしていて
いつも思う「あゆみちゃん、いてくれたら」
が、一層色こくなる日だから。
そしたらネットで
「母の日がしんどい」という記事を見つけ
同じや~ん
と思って読むと
立場がちがった。
お母さんを亡くした若い女性だった。
「おかあさん、いてくれたら」だ。
ああ、そうだなあ。
お母さんは、最後まで娘さんのことを思い
亡きあと困らないようにと考えたのは
喪服を買ってあげることだった、という。
ご自身の告別式のための。
最後に一緒に行ったお買い物は、喪服、って
大事なことだけど、せつないなあ。
若い女の子どうしの会話には
母の日に、〇〇をプレゼントする、とか
手作りで〇〇を作ってあげる、とか
そういうことが話題に挙がってくるらしい。
なるほどー
そういう話題のなかで
黙って聴いているだけ、あるいは
聞き流してやり過ごす
ということを重ねてきたのだなあ。
早くに子どもを亡くすことも、つらいけれど
早くに母親を亡くすことも、つらいなあ。
母の日は、商業化されている面もあって
この日が近づくと、
否応なしに目にするカーネーション。
大量に入荷されて、価格が高騰し
売れ残ると大量に廃棄、という記事もあった。
私は、カーネーション、あまり好きでなく
それは羨望からくるものだけど
日頃も、買うことがない。
ところが、先月、来客があって
自分でも驚くことに、
考えが変わったのだ。
(長くなるから、また明日)