さいごは抱きしめるか抱きしめてほしい
2022/07/03昨日の日記のつづき。
映画「今夜、ロマンス劇場で」を観て
もし、あゆみと再会できても
触れた途端に消えてしまう
ということなら、つらいと思った。
映画のほうは
ずっと二人は、触れずに暮らし続け
若かった彼は、年老いて、入院している。
美しかった彼女は、年をとることなく美しい。
看護師は、孫が毎日お見舞に来ていると思っている。
いよいよ最期のとき
私は一瞬、不安に駆られた。
彼は死に、彼女だけ取り残されたなら
この実社会で生きていけるのだろうか。
そんなことにはならなかった。
彼女は、彼にこれまでのお礼を言い
「最後にわがままをきいて。触れていい?」
と言って、
もうほとんど意識のない彼を抱きしめた。
と同時に、彼女の姿は、消えた。
また涙が溢れた。
やはり涙の半分は、私自身へのもの。
あゆみと再会後、ずっと一緒にいたら
私は年老いていく。
あゆみは子どものまま過ごす。
最期のとき
私はどうするだろう・・・
きっと
ようやく抱きしめて、一緒に逝くのだろう。
いや、どんな状況にあっても
親の手で子を消すようなこと
できない気がする。
あっ、逆なのかも!
最期は
あゆみが私を抱き締めてくれるのかも。
そうだと嬉しい・・・
あるはずがない「もしも」でも
そう思うだけで涙が止まらない。