犬を飼うか、譲って、猫
2014/06/14 子どもを亡くすほどの不条理は、ほかにないと思う
といった語り口で発信してきた私は、
親の死を、とてもつらい、と言うことの
できない立ち位置を、自分で作ってしまったような気がし、
ごく最近
母親の死が、こんなにつらいものであった実感を
人に言うようになった。
そしたら、人は、
思いがけず、全面的に受け止めてくれる。
長らく、死別の悲しみを扱い続けてきた自分が
改めて、というか、初めて
つらいことを、つらい、と言うことによって
周りの人に、胸中を知ってもらうことは、ときに必要
ということに気づいた。
でなければ、大丈夫そうに見えていたらしい。
少し仕事の調整も必要だろうし
何の予定もなく、家で過ごすことも必要に思え
ダイキが、「ぬこ(ネコ)飼いてー」という独り言に
「犬がいいなあ」
なんて返す自分が、別人のように思え
独断で、犬の方向で考え始めている。
ただし、あゆみを亡くしたあと、
何か「飼おう」といった発想は、皆無だった。
家族の間でも、動物案はまったく出なかった。