一緒に生きていこうと言った頃の出会い

2022/12/09

東京の「つどい」で東京に来ている。

こちらに来たときも、できるだけお宅を訪ねるが、

久しぶりに訪ねたお宅、

お家の中はすっかり変わっていたが、

少しも変わらないのが、お子さんの場所。

 

このお宅は、お仏壇は買われず、

特注でチェストを購入されていて、

お写真や、お子さんの愛用品が、

いっぱい並んでいる。

 

遺影に向かい、久しぶりー、と呟いた。

変わらぬ笑顔で迎えてくれる。

 

遺影というと、淋しく聞こえるが、

お子さんのものは、普段着の、

1番いい表情だから、どの子も可愛い。

 

お母さんに、「もう大きくなってるね」

と言ったのがきっかけで、

「あれから18年」と教えてくれて、

続けて、

「坂下さんと出会ってなければ、

18年生きて来れなかったと思う」

と言われたので、私は思った。

 

私のほうは、そのようにおごった考え

まったくないのだけれど、

あの時のことは、よく覚えてる。

 

お子さん亡くされて、まだ本当に日が浅く、

よく電車に乗ってここまで来てくれたなあ

と、驚きと感激が、同じだけあった。

 

あの時の、お母さんのふらふらと、

私のふらふらは、シンクロしていたように思う。

ちょうどその少し前、

私はがんの治療で、入退院を繰り返していた。

やせていたし、

治療を終えても、再発の不安を抱えており、

自分の先がわからなかった。

 

私はよく、一緒に歩いて行きましょう

と言う。

今は、そうだけど、

当時、彼女には、

一緒に生きていきましょう

と言った。

 

生きていけるか、どうなのか分からない私を

生きさせてくれたのは、

このお母さんであり、

あの頃出会った方々だと思っている。