娘を追いかけて追いつけなかった父親
2022/12/08昨日は、自分の子を拒絶した父親のことを書いたが、
きょうは、テレビで、
心臓移植を待っている1才の女の子のお父さんが、
「感謝の気持ちでいっぱいです」
とお礼を言っていた。
5億3千万円という目標額に達したようだ。
これだけのお金を、よく集めたなあ、と思うし、
善意の人の多さにも感動した。
あとは成功を祈って、待つだけだ。
でも、わが家は、
この話題に、触れることはない。
あゆみが亡くなった当時は、
脳死になっても、心臓を求められることはなかった。
でも、イメージできたので、
私は、ダンナに尋ねたことがある。
もう助からないなら、誰かのために、という選択肢も
あればいいと思う?
そしたら、
普段、まともに声も聞こえないような人が、
あほなこと言わんとってくれ!
と怒ったように言うから、こわくなり、黙った。
私も、積極的な考えがあるわけではなかったが
あゆみのことで、会話しておこうと思ったのだ。
ダンナは、
ぜったいにダメ!無理!
話題にもしないでほしい!という感じだった。
死を受け止めきれない、だけでなく、
死んでも手放さない、という感じ。
そうして、あゆみは亡くなり、
私たちは、いまも生きているのだけれど、
ダンナは、
生きているのかなあ・・・?
と思うようなところがある。
体が残っているだけで、精一杯。
心は、あのとき、ついて行って、
追いかけても、追いつけなくて、
上手く戻ってくることもできなくて、
どこかを彷徨い続けている。
みたいな生き方なんだよね・・・