もう、つらい目にも、こわい目にも、あわないのだから

2012/10/25

前回書いた、あゆみはもういないのに、
あの子の生前に直面した、危ない出来事と
似たような場面に遭遇した時に
今でも、ヒヤッとしてしまう、という心の仕組みについて
あれから考えた。

あゆみが、その後、元気で暮していたなら
似たような場面に遭遇しようと、何とも思わないだろう。
むしろ、危なかった出来事じたい、忘れ去っているだろう。

「いない」から
頭の中で、瞬時にいろんなことが繋がってしまうのだ。

当時、あのスーパーで、店員とぶつかって事なきを得たことと
その後あゆみが病魔に襲われたことは
何の関係もないことなのに、
私のアタマの中では「あゆみの窮地」という「分類」によって、繋がってしまい、
さらに、あゆみの死後の私の窮地にまで、繋げてしまうものだから・・

今、店員が私にぶつかりそうになったとき、
危ない→怖い→つらい・・ と連動したのだ。
人間の脳とは、高度過ぎて、本人ですら扱いにくい。
勝手に、意図せず、出来事と出来事を結びつけ、
思わぬ感覚を呼び起こしてしまう。

もう、あゆみは、いない
ということは、十分に理解できているのだから
もう、あゆみには、つらいことも、こわいことも起きないんだよ
ということも、十分に理解しておかないと・・。