フシギの世界(つづき)
2010/07/13 私は、その教授の奥さまを、お訪ねするつもりで電話したのに
奥さまのほうから、私の家にお出ましくださることに。
「たましい」の高いかただからと・・・ あゆみが。
(早く帰っていった子ども達みんな、だそうです!)
間違いなく、あゆみの思いを伝えに来てくださったのだと思った。
家族にしかわからないことを、いくつも告げられ
あゆみと実際に会ったことがあるかのように、あゆみに詳しかった。
いろんな伝言を、つぎつぎ教えてもらった。たとえば、
家族と暮した1年間は、とっても楽しかった とか。
意識を失うときも、苦くはなかった とか
私は、涙をぽろぽろこぼしながら、聞き入った。
そして本題に。
あゆみという子は、
私がこの会(小児を失った家族に限った遺族会)を立ち上げるために
生まれてきて、役割を終え、帰っていった
それは、あゆみ自身が決めてきていた
これを何年か前に知らされていたら
つらくてたまらなかったと思う。
そんなことのために、生まれて、死んでいかなければならないのか!と。
時を経て、時期を迎え、届けられたメッセージだったと思う。
いまだから、大きな支えに思える。
結果的に、当会は
家族数的にも、質的にも、国内で誇れる会になったと思う。
会員の方々賛同のもと、社会的にも多くの貢献をしてきた。
なにより、集う人の人がらが、素晴らしい。
出会ったみんなが、こういう会に、していってくれた。
私は、ほかに何も求めなくても、会の中にある信頼と理解だけで、
やっていけると思います。
自分がどれほど多くの仲間に見守られていたか
会員の皆さんが、どんなにこの会を大切に思ってくださっているか
思いがけない災難に直面したことで、実感できました。
心から、ありがたいことでした。