うどんが連れ戻したちゃわん蒸し
2007/06/15  時間まわらない、体ついていかない、意識トブの循環のなか 
また大きな失敗してしまった。 
謝って回り、許していただき 
時間はちょっとだけできたけど 
人と話す元気があんまりないから日記書いてます。 
 昨日、なに見るでなくぼんやり見つめていたのは 
母がうどんを食べる光景でした。 
母)あゆみちゃんおいしそうに食べてたね。あの料理屋さんなに亭っていったかなぁ。 
私)料理屋さん?なに亭?あっ!つばき亭だ。 
あそこにあゆみを連れて行ってたなんてこと、このときまで私の記憶になく、 
一気に蘇った。どの席で、どんなふうに食べさせて、どんな反応で、どんな表情で、 
まだあった。あのとき、うどんだけでなく茶碗蒸しを食べさせてみたんだった。 
すごく喜んで、からだ上下させて、手を叩いてた。 
 楽しいところに行くことも、おいしい物を食べることも、ほとんどまだなくて、 
もうちょっと大きくなったら、ばっかりで終わってしまったことが 
かわいそうで、残念で、申し訳ない思いばっかりなのですが、 
こうしてたまに、まるで隙間風のように、自分以外の人の記憶が会話につながったとき、 
薄れるばかりのあの子の思い出を少しだけ膨らませることができます。 
 いくら親でも一人で持ち続けることができる思い出は限られ 
抜け落ちるのを食い止めることも不可能で、 
別の誰かがあの子を記憶してくれることで、思い出は、 
戻ってきたり、つながったり、そして根付くように思います。 
だいじな思い出、1つ戻ってきてくれてよかった… 
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