見ず知らずの人にも話しかけていた

2025/05/27

あゆみを亡くしたあと

同じ立場の人と出会いたかったことや

支え合えたら!と考えたことを

思い返していたら、もう一人、

会えなかった人がいたことを思い出した。

 

道をとぼとぼと歩いていて

電柱に貼られたチラシに目がとまり、

凍り付いた。

近所で、小さい男の子が車にはねられ

亡くなって、その事故を目撃した人は

連絡ください、というものだった。

 

そんな大変なことが起きたんだ。

いま、この人は、どんな思いで・・

 

私はその番号に電話した。

お母さんに伝えたいことがあって。

 

「チラシを見て」と言うと、

お父さんが、慌てて

「ちょっと待ってください!」と

お母さんに替わってくれた。

要件を話すと、

お母さんは、ずっと無言だった。

聞いてるのかな?と思っていたら

切ってしまわれた・・・

 

私が話したことは

ちょうど見つけた会のこと。

子どもを亡くした人が集まる会。

ようやく見つけ、飛びつくように

私は参加申し込みしていた。

だから、一緒に行きませんか、

と誘った。

 

交通事故の目撃者を探しだし

したいことを、するためにも

少し元気になれそうなところへ

行けばどうかな、と思ったもので。

 

私は何にもわかっていなかった。

自分が探しあてたものが

他の人の探したいものと、違っていることも。

 

子どもを亡くした当事者同士でも

目的やニーズがそれぞれにあって

「何のために電話してきたんだ?」

と思われたのだろう。

 

でも、どうなんだろう・・・

今でも答えは出ないが、

知らせてみる

までは、「親切」になるだろうか。

選ぶかどうかは、ご本人に任せて。

 

どうなんだろう・・

それさえ、気持ちを逆なでしてしまう

ということも、あるのかもしれない。

 

見ず知らずの相手だと、むずかしい。

でも、子どもを亡くすということは

知っている人に起こることは

そう、ない。

まず、ない。

 

知らない人でも、話しかけてみたい

という勇気

あったんだなあ、あの当時。

元気はなかったのに

勇気はあったって・・