思いやりにさえ傷口が開いてしまう傷

2025/10/04

相手の気持ちも考えないと・・・

と昨日書いたのは、

あゆみのために上等な花籠を

お供えにくださった人のこと。

 

気持ちは本当に有難かったけれど

花が嬉しく思えなかった時期がある。

花さえも。

 

花籠の花は、背が伸びる。

切ってあるのに育つ。

故人に供える花のことを、生花というが

まるで生きている花のことのよう。

 

あゆみの非力さに比して

強い生命力を誇示しているかのよう。

 

いいお花を入れてくれているからだ。

上等なお花を贈ってくださったことに

感謝しないと。

 

そう思って、籠のオアシスに水を足し

室温を下げ

切り花の「生」を支えた。

冬に亡くなったあゆみがもらう花は

本当に長く咲き誇ってくれた。

 

ここまでは、私の葛藤の前半。

このあと後半がやってくる。

 

咲き誇っていた花々が

弱っていく、衰えていく、傾いていく。

朽ちる前に抜く、そのとき

胸がキュンとなる。

まだ命、少し残っているのに・・・

 

抜いていき、すかすかになっても

まだ生き生きと咲いている花の

生命力のすごさに再び驚く。

3週間以上も咲き続ける花がいる。

 

そしてその花も、最後のときを迎える。

 

だから花を貰うと

咲いているときも、枯れていくときも

悲しくなってしまう。

 

あかん、あかん、

癒してくれるために貰った花に

傷ついていくようでは、申し訳ない。

 

ほとんどのことは、当たり前のこと。

その当たり前にさえ傷が開きそうになり

両手で傷口を押さえおく日々だった。