生き方の知恵は備わっている気がした
2025/10/14ワークショップの日の続き。
WS前半で観た記録映画では
危篤状態のがん患者さんがいて
若者が相談に来ていた。
人生に行き詰まったような
深刻な相談だったようだが
その患者さんが言った言葉は、
とても短い一言だった。
「今や」。
若い彼は、この言葉の意味が
理解できただろうか。
こういう考え方は
禅の教えから来ているようだ。
過ぎたことに対する後悔と、
この先への不安、
多くの場合、この両方に苦しむが
過去でもなく、未来でもなく、
「今現在」に意識を置くことで
前後の苦悩から解放される
という考え方。
この日、私は母のことを考えたが
まさに母を通しての私の悩みがそう。
認知症になった母と向き合うことは
つらかった。後悔も多い。
もっと早くにもっと多く、話せばよかった。
似た体質で、私もなったらどうしよう。
私には私のように介護する娘はいない。
「過去」も辛い、「未来」も不安。
でも、今はまだ問題は起きていなくて
いつまで続くか分からないが
きょうは、きょうのことを考えよう。
きょうできることを、しよう。
毎日、そう思い
行けるところまで、行けば。
この考えは、
かつて持ったことがあった!
あゆみが亡くなったあと。
もっと切実に、
もっと喘ぐように。
だから私には、
何があっても、どんな時も、
生き方の知恵は備わっている
そんな気がしてきた。