「眼鏡をかけるよう」と思えるだろうか
2025/11/14介護の特集番組を見て、思った。
どうしてもオムツが嫌で
拒否する人がいるそう。
そのため介護の人は、
オムツと言わず、
オムツを「下着」と言うなどして
拒絶感を和らげるよう心がけてくれる。
やさしい。
ポジティブ変換、と言っていたけれど
オムツも、目が悪くなったら眼鏡
をかけるのと同じ感覚で身に着ける
という発想。
この発想、発想の転換、いいけれど
本人がそう思えるかどうか?
年老いた自分に、そう思えるか?だ。
あるお母さんの言葉を思い出した。
生まれた赤ちゃんは、
目もよく見えないかもしれない、
耳もよく聞こえないかもしれない。
そう知らされたとき
目の前が真っ暗になった。
生まれてきて幸せなのだろうかと
つらい日々を過ごしていたところ
出会った医師から
目が見えなければ眼鏡をかければいい
耳が聞こえなければ補聴器を着ければいい
と言われて、
そうか、と幸せな未来が見えたと。
赤ちゃんが思ったわけではないけれど
そう思って育ててくれる親の子は
幸せになれると思った。
でも老人には…
親はいない。